「ちゃんと出したから。もう君は“俺の妻”だよ」
そう言って笑った彼を、私は信じていた。
婚姻届を記入して、一緒に役所に提出に行った日。
受け付け番号の札を握りしめて、窓口で彼が「提出します」と言ったあの瞬間──
人生が変わったと、本気で思った。
でも、それは全部、演技だった。
■ 出産しても、“妻”にはなれなかった
私が彼の子を妊娠したのは、2024年秋。
交際3年目、そろそろ結婚の話が出ていた頃だった。
妊娠を報告したとき、彼は少し驚いた顔をしながらも、すぐにこう言ってくれた。
「よし、じゃあ結婚しよう」
式は挙げず、籍だけ入れよう。
そう決めて、二人で婚姻届を記入し、彼が役所に提出してくれた──
“はず”だった。
出産を終え、保険証の手続きで戸籍謄本を取ったとき、そこに私の名前はなかった。
「えっ……どういうこと?」
震える手で彼に電話した。
でも彼はこう言った。
「え?あれ…出したけど、受理されなかったのかな」
「たぶん記入ミスじゃない?また書こうか?」
その声が、急に遠く感じた。
■ 認知されていない子ども
もっと怖かったのは、子どもが“彼の子”として認められていなかったこと。
病院の書類には、私の名前だけが記されていた。
「父親の欄は空白のままでいいですか?」と問われ、私は頷くしかなかった。
それでも、彼を信じたかった。
「遅れてるだけ」
「手続きがうまくいかなかっただけ」
でも、次第に彼からの連絡は減っていった。
■ 「まだ気持ちが追いつかないんだよ」
子どもが生まれて3か月。
夜泣きや授乳に追われながら、私は何度も彼にメッセージを送った。
「いつ籍入れてくれるの?」
「認知はいつしてくれるの?」
そのたびに返ってくるのは曖昧な返事。
「今、仕事がバタバタしてて」
「俺もまだ気持ちの整理がついてないんだよ」
整理?
私は命をかけてこの子を産んだ。
母親になった瞬間から、迷う余地なんて一つもなかった。
■ 通知書を書くという決断
限界だった。
そしてある夜、検索窓にこう打ち込んだ。
「未婚の母 認知されない」
「婚姻届 偽装 慰謝料」
そこで見つけたのが、行政書士による内容証明通知書の存在だった。
「子どもを認知しない父親に対し、正式な請求が可能」
「婚姻届を出したと虚偽説明がある場合、不法行為として損害賠償請求の対象になることも」
その文字を読みながら、私は涙が止まらなかった。
“法”という言葉に、初めて希望を感じた。
■ 通知書の文面には、すべてがあった
行政書士の先生は、私の話を黙って聞いてくれた。
LINEのやり取り、婚姻届を出すときの写真、病院の証明書──すべて提出した。
そして数日後、1通の通知書が私の元に届いた。
その文面には、こう書かれていた。
「あなたは婚姻届を提出したと偽証しました」
「子の認知を拒否しており、法的義務を放棄しています」
「誠意ある対応がなければ、家裁での調停および強制認知を求めます」
読みながら、私は何度も頷いた。
これは“怒り”ではない。“当然の権利”なんだと。
■ 子どもの父親として向き合って
通知書を送って1週間。
彼からようやく電話があった。
「なんでこんなことするの?」
「周りにバレたら俺の立場がなくなる」
彼の“立場”に私はもう配慮しない。
今、守るべきは「私」と「子ども」の人生。
「だったら、最初から逃げなきゃよかったよね」
その言葉が、私たちの最後の会話になった。
通知書を出した翌週、彼の母親から電話が来た。 番号を見た瞬間、嫌な予感がして心拍数が上がった。
「●●くんのお母さまですよね?」 そう尋ねると、彼女はすぐにこう言った。
「…あなた、少し落ち着いて考えたらどう?」
その言葉に、全身が凍りついた。
彼の母親は、息子の嘘についてこう言った。
「うちの子がそんなことするわけないと思うの」
「籍を入れたなんて、あなたの勘違いじゃない?」
私は怒りをこらえながら、淡々と事実を話した。
- 一緒に婚姻届を書いたこと
- 役所まで同行したこと
- 提出の瞬間を写真で撮ったこと
- 妊娠がわかってすぐ、彼が“籍を入れる”と自分で言ったこと
でも彼女は、こう返してきた。
「でも、それは書いただけで、正式には受理されてないんでしょう?」
「つまり、あなたは“他人”よね」
心がえぐられた。
さらに彼女は続けた。
「子どもが本当にうちの孫かどうか、証拠はあるの?」
私は電話を切った。 震える手でスマホを握りしめながら、泣いた。
この世界に、私と子どもしかいない気がした。
行政書士の先生にそのことを話すと、こう返ってきた。
「これは“感情の否定”です。現実に起きている法的な義務は、否定できません」
子の認知、扶養、養育費。
それらは親としての“責任”であり、“感情”で消せるものではない。
私は、家裁に「認知調停」の申し立てを検討し始めた。
彼には最後のチャンスを与えたかった。 親が否定しても、彼自身が父として向き合うなら、まだ対話の余地はある。
でもその夜、彼から届いたLINEにはこう書かれていた。
「俺は結婚してない。だから責任はないと思う」
そうか。
“妻”じゃないなら、“責任”は取らなくていい。
そう言いたいんだね。
だったら、私も“母親”として戦う。
子どもを守るために、できるすべての手段を使う。
■ 家裁の調停室で
家裁の調停室は、思ったより静かだった。
エアコンの音と、紙をめくる音しか聞こえない。
私の左側には、担当の調停委員。
真正面に、元恋人──子どもの父親。
彼は相変わらずスーツ姿が板についていた。
「社会的にはちゃんとしてる男」を、完璧に演じていた。
でも私はもう、その仮面の奥にある冷たさを知っていた。
■「認知はする。でも、育てる気はない」
調停が始まって、最初の数分は淡々と進んだ。
調停委員:「本日は、お子さまの認知および養育費についてご相談する場です」
彼:「はい。認知はします。ただ…育てる気はありません」
言葉を聞いた瞬間、私は座っていながらも頭がクラクラした。
思わず、手に持っていたメモが落ちた。
■ 子どもを“負担”と見るその目が許せなかった
調停委員が続けて質問する。
「では、養育費については?」
彼は小さくため息をついたあと、言った。
「払う意思はあります。けど、最低限にしてください。僕には今、他に守るべき家族もいるので」
“他に守るべき家族”
──そう、それは彼がその後、別の女性と結婚したことを指していた。
私には、届いていない婚姻届。
私には、出してもらえなかった認知。
でも、その人には全部与えたんだ。
■ 「母親だからって全部背負わないといけないの?」
家に戻って、私は子どもの寝顔を見ながら泣いた。
調停中、彼が放った言葉はまだ胸に刺さっている。
「望んだのは、君だよね?」
「俺は中絶も提案したよね?」
「それを産むって決めたのは君なんだから、君が育てる責任あるんじゃないの?」
この子の存在は“選択”じゃない。
“命”だ。
私は、自分の命をかけてこの子を守ってきた。
母親だからって、全責任を背負うのが当然なの?
そうじゃない。
だから私は、家裁に来た。
■ 調停の結果──「認知+月3万円の養育費」
彼は調停の末、正式に子どもの父親として認められた。
毎月3万円という最低限の養育費を支払うことになった。
高い金額じゃない。
だけど、この“認知”という言葉が、どれだけ重いかは知っている。
「あなたの子です」
それを、戸籍に記録できた。
それだけで、私はもう“ひとりじゃない”と思えた。
■ 彼に、もう感謝も怒りもない
これで関係は終わった。
彼とは連絡を取ることもないし、子どもに彼の存在を話すことも今はない。
感謝も、怒りも、もうない。
ただ、事実として彼は“この子の父親”で、私は“母親”であり続ける。
■ “諦めなかった自分”に、少しだけ誇りを持てた
通知書を出したあの日から、ここまで長かった。
何度も泣いたし、くじけそうにもなった。
でも、子どもを守るために“法”という武器を持った自分に、今は少しだけ誇りを持てる。
これからの人生、きっとまた大変なこともある。
でも私は、もう「黙って耐えるだけの女」じゃない。